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草野河豚

Author:草野河豚
東北人。現在は実家で修行中。
乱読気味で、読む本にバラつき有り。
ラノベ・ミステリ・ファンタジーを比較的好む。
あと軽くオタ入ってます。

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夏目漱石『吾輩は猫である』
吾輩は猫である
吾輩は猫である

 少量をつまみつつようやく読了。漱石の文章は好きですがどうにも長くて疲れます。

 いわゆる滑稽小説です。英文学、漢学、落語的滑稽さなど、漱石の嗜好が集大成された本と言って良いかと。胃弱でジャムばかり舐めている苦沙弥先生と、常に大仰なことを言っている迷亭、令嬢との恋に振り回される(?)寒月君などが主な人物です。彼ら「太平の逸民」が交わす様々な話・事件がこの小説の中核となってます。

 最初の方は割合面白い。特に猫の可愛さが。中盤以降は冗長であまり面白いと感じず。それでも漱石の批評が混じっている部分は楽しめました。
 「差別的」として触れられる事の少ない事象も、ばっさり切ってくれるので気分が良いです。昔は自由な時代だったんですね。

 今作で特筆すべきはその知識量。「これだけ頭が良かったらそりゃ気がおかしくなるでしょうね」とは大学の先生の言葉だがまさにその通りだと思います。

 まったく、「天才と気狂は紙一重」とはよく言ったもので。

 大学生になってからでないと、面白さは得られないと思います。

 引用文は長いので、お時間と気力のある方のみどうぞ。


「こう自分と気狂(きちがい)ばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもない。これは方法がわるかった。気狂を標準にして自分を其方(そっち)へ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にしてその傍へ自分を置いて考えてみたら或は反対の結果が出るのかも知れない。それには先ず手近から始めなくてはいかん。第一に今日来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しい様だ。第二に寒月はどうだ。朝から晩まで弁当持参で球ばかり磨いている。これも棒組だ。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職の様に心得ている。全く陽気の気狂に相違ない。第四はと……金田の細君。あの毒悪な根性は全く常識をはずれている。純然たる気じるしに極ってる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸った事はないが、先ずあの細君を恭しくおっ立てて、琴瑟調和しているところを見ると非凡の人間と見立てて差支あるまい。非凡は気狂の異名であるから、先ずこれも同類にして置いて構わない。それからと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生えだが、躁狂の点に於ては一世を空しゅうするに足る天晴な豪のものである。こう数え立ててみると大抵のものは同類の様である。案外心丈夫になって来た。ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れない。気狂が集合して鎬を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵り合い、奪い合って、その全体が団体として細胞の様に崩れたり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではないか知らん。その中で多少理屈がわかって、分別のある奴は却って邪魔になるから、瘋癲(ふうてん)院というものを作って、ここへ押し込めて出られない様にするのではないかしらん。すると瘋癲院に幽閉されているものは普通の人で、院外にあばれているものは却って気狂である。気狂も孤立している間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れない。大きな気狂が金力や威力を濫用して多くの小気狂を使役して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われている例は少なくない。何が何だか分らなくなった」

(九)末部。猫の読心術によって明らかとなる苦沙弥先生の心中考察

読書日記 | 02:00:37 | Trackback(0) | Comments(0)
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